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理想の暮らしを手放した日

  • spielen0622
  • 4月22日
  • 読了時間: 4分



素の自分に出会う場所。

心理セラピスト、

エリナのブログへようこそ。




気の向くままに、ゆっくりお好きに〜*








10年以上前、

飲食店で働いていた時のこと。



ある本を読んで、

理想的な暮らしをすべく

内容を参照しながら

朝、夜のルーチンを設定した。



自己啓発や行動変容を

促す本だったと思う。



「理想的な暮らし」として

思い描いたのは、



・取り入れたままの洗濯物が溜まることもなく

・常に、掃除が行き届いた清潔な部屋

・食事はしっかり自炊、台所もいつもきれいに




確かこんな感じ。



誰がいつ、突然訪ねてきても

慌てない自宅。



ここを目指すべく

完璧な日課予定を作成した。



当時、疲れていると

片付けが面倒になったり

部屋が散らかることがあって、

そんな家の惨状を見ると

しょっちゅう

私ってダメだなぁ〜、と

凹んでいた。



その本を読みながら、

やっぱりもっとちゃんと

やらなきゃ!と自分に

ダメ出ししていたと思う。




この本通りやれば変われる!?

その方法が書いてある!?

ダメな自分から脱却すべく

気合いを入れて開始ー!











一日の流れは、午前中に家事をして

14時くらいから出勤。

終業後、帰宅時間は23時前後。




お店で賄いと、お酒も

ちょっと頂いたりすると

0時をすぎることもざら。



帰宅して、就寝は何時頃だっただろう。

遅ければ2時や3時とか。




起床は、確か9時前後。

起きたらすぐに着替えて、身なりを整えて

掃除を開始。

詳細は覚えていないけど、

毎日、掃除機をかけて洗濯して、

玄関にトイレ掃除、布団も干して。

ご飯作って食べ終えたら座ってる時間も

郵送物の整理など有効活用。



ルーチン通り

タスクをこなしていく。



すると、素晴らしい!

家が奇麗な状態、

食事も健康的で予定通り。



ただ、私がへとへと。

そうか、こんなに集中してやらないと

この状態って保てないのか。




夜も帰宅後、ルーチン表に沿って、

お風呂やらタスクをこなしていく。

布団に入り、また朝から頑張らねば、

と思いながら就寝。









ひと月ほど経ったころ、

掃除の行き届いた

奇麗な自宅は維持されていて

日々の日程も

予定通り遂行していた。




部屋もきれい、

洗濯物も片付いてる、

毎食ちゃんと作ってる。




けど、なにも楽しくない

毎日、憂鬱。

義務感があって

余裕もなくて

疲れ果てて眠る。

布団に入りながら

また一日が始まることに

うんざりする。



最初の頃はあった

達成感も無くなった。

ぐったりしていて

私の機嫌が悪くなり

家族とも不和になったり。




ルーチンの内容を

実行している点は

「ちゃんとやってる人」

なのかもしれない。

すごいって評価される、

のかもしれない。




けど、これが理想?

私の理想の暮らし?




これが、この先ずっと続くの?

全然幸せじゃなくて

誰の、なんのための習慣だろう。







ってところで



やーめたっ



と、なった。







どんなに部屋がきれいでも

予定通り遂行できていても

自分が楽しくないなら、

それは意味がない




気を抜くと部屋が散らかりやすい

洗濯物を畳むのも苦手

料理もたまに手を抜いちゃう 




そんな私でいいじゃない。

そのままの私のほうが

ずっと楽しく日々を過ごせる。




開き直ったというか、

諦めたというか、

これが今の私だ、

と受け止めたときに

ふわっと軽くなった。




それから、多少部屋が散らかったり

疲れていて食事を手抜きにしても

凹んだり自分を責めることはなくなった。










数年後、出会ったゲシュタルト療法にて

その中核の一部でもある

「変容の逆説的理論」を知る。




人は〝変わろう〟と、

するのをやめたときに、

初めて変わり始める、という

一見、矛盾してるような理論。




もっと良い自分にならなきゃ、と

変わろうと、としているとき

その裏には、今現在の

自分自身への否定がある。




それが返って変化から

遠ざけることになる。




「変わろうとする」のではなく、

「今ここにある自分を、

そのまま引き受ける」

これが、変化の鍵だということ。




そのまま引き受ける」とは、

ジャッジや意味付けしないこと。




無理に肯定するのでもなく、

否定するのでもなく、




その状態の自分が、

今いることを認めること。

受け止めること。




このジャッジしないっていうことが

また難しい。



どうしても、惨めな気分になったり

焦りが出たり。

無理やり自分を肯定したり。




そうではなくて、

湧き起こる〝それ〟をただ眺める。

固着せず、囚われず、

湧き出るものに気づき、

流れていくのをただ眺める。




その話はまたいずれ。




まずは、そのままを受け止めること。

これって、ひとりではなかなか難しい。




やり方もコツもわからない。




だけど、ひとりでは難しいことも

誰かと一緒なら、

少しずつ動き出すこともあるから。




そんなときは

そばにいられたらいいなと思う。

 
 
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