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​田頭 エリナ  Erina Tagashira
 

日本ゲシュタルト療法学会主催
 ゲシュタルト療法アドバンスコース修了

日本ゲシュタルト療法学会会員

座禅やヨガ、体を動かすことや自然と触れ合うこと、写真撮影、社寺仏閣巡り、気分任せの外出、話を聞くこと、対話することが好きです。

 

​Spielenで活用しているゲシュタルト療法は、私にとって、自分を生きていく、より自分自身へ成っていくためのコンパスです。人生の岐路に迷ったり窮地に陥った時だけでなく、ふと迷ったり違和感を感じたり、気がかりに気づいたときに行う身近なものです。

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セッションの中で起こる「気づき」は、外部からもたらされた情報や知識ではありません。その人自身の中から自然と湧き出てくるものであり、これまでの人生が詰まったその人ならではの生きる力に起因するものです。共にセッションをしている方に気づきが起きたとき、その方の力強い生命力やエネルギーに深く感動を覚えます。

私はゲシュタルト療法に出会うまで、社会や世間との感覚のズレや、不適応な感触に厭世観を募らせていました。感覚や違和感を共有できる相手は少なく、居心地の悪さを感じながらも、社会を基準として自分を調整することに

過度なエネルギーを消費し、自己否定感が膨らみ漠然とした虚しさが常にありました。


ゲシュタルトは、「自分の感覚を信頼して生きる」「良い、悪いではなく違いがあるだけ」「違いが大切」ということを実感させてくれます。セッションを重ねていくと徐々に生き難さが軽減し、結果的に生きることが楽になっていきます。

初めてセッションを受けたとき、そのままの自分をさらけ出してもジャッジせず、ひとりの人間として向き合い受け止めてくれるファシリテーターや、参加者の方々の存在に​深い安心感と喜びを経験し、生きていくことを許された感触を得ました。なんとなく覚えはあるけれど無自覚だった自分の一面を、意識化していくプロセスで、自分の半生や生き様に納得していくことができました。

それまでやりたいと思えるものも無く、何かに興味を持っても「それをやってどんな意味があるんだろう」という

虚しさや怖さが先立って、行動に起こすことはありませんでした。

ゲシュタルトに出会い、自己探求や他者との出会いに魅了され継続していく中で、無自覚だった自分に気づき、未完了を少しずつ完了させていくことで、それまで受け入れられなかった過去や認めたくなかった自分の性格や性質に対して徐々に感じ方や捉え方が変わっていくことを経験しました。

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その結果、徐々に自己内省だけではなく、外部へ目を向ける余白ができたように感じます。ゲシュタルトは「癒し」という要素ももちろんありますが、重ねていくうちに人生を主体的に、自分で歩みたくなる自発的な変化が自然に起こるものだと考えています。


ゲシュタルトでは「変容の逆説的理論」という理論があります。今の自分ではない何者かの自分(立派な自己像)になろうとしているときは何も変容は起こりません。それは、現時点の自分を否定しているからです。

今の自分自身の、欠点、弱点と感じるところも、やり場のない思いや、否定したくなる強い感情もジャッジせずに「自分の多くあるうちの一部分、一つの面」「実際に自分の中にあるもの」として、そのままの自分を受け止めるとき、
その時から本質的な変容が起こる、という理論です。それは、無理に起こすものではなく、自然と生じるものです。

私たちは生きています。生きている限り、可能性は無限大です。今の自分をそのまま受け止めたとき、もしかしたらその先に「生きていくって悪くないかも」と、感じられる日があるかもしれません。
少しでも興味を持たれたら、ゲシュタルトを体験してみてください。せっかくの人生、思い切りあなた自身を生きてください。​満たして豊かに、そのままの自分を生きている感触を手に、あなたの人生を歩んでください。

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-A place to dialogue with your senses-
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