top of page

それでも後悔は、してもいい。

  • spielen0622
  • 5月8日
  • 読了時間: 4分

更新日:3 日前




ここは、自分に優しくなれる場所。




こんにちは、エリナです。




今日も気の向くままに〜✳︎‪︎*











後悔ってなるべくなら、したくないですよね。




「後悔したい!」と率先して願う人はなんて、そうそういない、と思う。





過去には戻れない、かつての出来事は変えられない。




だからこそ、悔いを抱えながら日々を過ごすのはつらい。




自分を過度に責めることや、後悔することはなるべく無いように




生を全うしたい。




かつて私はそう望んでいました。









私の父は数年前に他界したのですが、




もともと持病を抱えていたので、




いつか迎えるその日を私は割と日常的に、静かに




意識して過ごしていました。




やれることをやって、伝えたいことはできるだけ伝えました。




喧嘩もしたし、対話も重ねたし、病院にも付き添いました。




一緒に過ごす時間も大切にしてきました。




その時を迎える直前も、その時も、直後も




目を逸らさずに父と、家族と一緒にいられたという実感がありました。




やれるだけのことをやった、やりきった。




そう思っていました。







でも、その日を超えてから、




経過する時間に比例して




様々な思いが湧き起こりました。




深い喪失感や哀しみ、




言葉ではうまく表現できないような




やるせない気持ち、




そして、その中に後悔もありました。




もっと、ああしてあげればよかった




こうしてあげればよかった、




あんなに「やりきった」と思ってたのに




こんな思いが湧いてくるなんて。




そんな感情の作用を恨めしく感じた時期もありました。









けれど、しばらく経ってから




後から後悔が湧くことは至極、当然なことだと思い至りました。




なぜなら、私たちが生きている限りその出来事について、




考えたり思いを巡らすことができる時間は増えていくからです。




今日が終われば、また「明日」だった24時間が、繰り上がって今日となり始まる。




加算されていく時間の中で私たちは、その事象を思い出しては




別の角度から眺めてみたり、他者の立場から捉えてみたり、




そうやっているうちに、新しい気づきや意味づけが自ずと生まれていく。




どこに焦点を当てるかで、見え方や捉え方、感じ方も変わっていきます。




例えば、





私は父が他界する二週間前に、二人で出かけました。




以前から誘われていて、やっと実現できた日。




その日、私は9時に実家にいく予定だったのですが、




大幅に遅刻して、10時半に着きました。




ちゃんと9時に着いていたら、もっと父と一緒に過ごせたのに。




楽しみにしてくれていた父を、待たせてしまった申し訳なさ。




ここにフォーカスすると未だに、いたたまれない気持ちになります。




けれど、




その日、父はとても具合が悪そうで、なのに平気なフリをしていて




見兼ねた母から延期を提案されても、




今日は絶対にエリナと出かけるんだ、と譲りませんでした。




その事実を思い出すと、遅刻した分、体調面では、少し休めたのかもしれない、



あれでよかったのかもしれない、と




後悔の霧が晴れていきます。




ひとつの出来事について、焦点を移行してみると




捉え方や感じ方、解釈が、ぐっと変わります。




観測する側の視点や立ち位置、規定する時間軸(スパン)によって。




そんな経験をしてから、後悔なんてすればいい、



していいんだ、と思えるようになりました。




後悔しないように生きると決意したからって、




それ以降一度も、後悔無しに生きていくなんて無理です。




なぜなら、当時の私と今の私とでは、感じ方や考え方に




違いがあるかもしれないから。




私たちは、生き物は、常に変化しているから。




また、立ったときに陽に照らされて大地に影ができるように



何かを軸にして思考を展開したときに、必ず影になる部分、




見えていない部分は生じます。




完璧で、完全な人なんていません。




後悔することは、悪いこと、いけないことではありません。




生きている限り、その思いは自ずと生じるもの。








それでも、やっぱり後悔はつらい。




できれば、減らしたい。




ならば、未来に抱く後悔は防げなくても、




「今、ここ」の後悔を最小限に抑えればいいんです。




それは、今の自分自身に




誠実に向き合い対応する、ということ。




今ここの自分がしている選択に




気づいている、自覚的であると言うこと。




もしかしたら、その選択を




未来のあなたは、後悔する時がくるかもしれません。




別の選択をしていればよかった、と。




バカなことをしてしまった、と。









その時は、思い出してください。




あなたは過去のその時に、できる限りを尽くした、




最善の選択をした、ということを。




当時のあなたは、その選択に、後悔はなかったことを。




未来に至って湧いた後悔は、更に未来になった時に




あれでよかったと感じているかもしれません。




そして、それらは現時点では、想像・空想です。




私たちが、対応できる時はいつだって、〝今 ここ〟です。





「だけど、今、どうしたら、何を選択したらいいか、わからなくて悩んでる…」





そんな時は、会いにきてください。




一緒に、あなたの〝今 ここ〟の応えを探しましょう。











-A place to dialogue with your senses-
bottom of page