余白は緩衝材
- spielen0622
- 4月8日
- 読了時間: 3分
常識不要、素のままダイアログ 心理セラピスト エリナのブログです。
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
HPの改修のため数日間、ブログをお休みしていました。
あれこれやってるうちに4月も一週間過ぎて、東京では桜も満開。

生気溢れる満開時も壮観ですが、個人的には散り際の桜が好きです。
移りゆく季節、生き物や事象が有限であることが浮かび、終わりゆく儚さになんとも言えない気持ちになります。

先週からスタートしたNHKの連続テレビ小説を視聴しています。
子供の頃大好きだったアンパンマンの生みの親、やなせたかし氏の物語なので期待大です。
久しぶりに目にする初期アンパンマンのイラストや原作そっくりなロゴに、懐かしさや当時のあれこれがよぎり、ぐっと込み上げるものがあります。
そんな中、気になるシーンがありました。
物語は、居候をしている親戚の家に幼い息子を置いて、母親が出ていく回。
息子には、用事が終わったら帰ってくると言い残して。
親族向けに置手紙が残されており、そこには再婚すると記されていたらしく、
後日、町を歩いている男の子を目にしながら近所の人たちが、こんな幼い息子を捨てて出ていくなんてひどい女だ、と噂話をする場面です。
人は、見聞きした情報をそのまま受け取ります。
その他に情報が無いため、衝撃的な内容ほど感情的になり、それがすべてのように受け取ってしまいます。
この場合、「再婚をすると書いてある」とは置手紙を読んだ親族が話していました。
けれど、もしかしたら、それは出ていった女性の嘘かもしれない。
本当だとしても、なにか事情があるのかもしれない。
別の立場の人からしたら、また違った見方や受け取り方になるかもしれない。
様々な可能性や背景が考えられます。
受け取った一つの視点からの情報を鵜呑みにするのではなく、それは真実だろうか、なにか事情があったのだろうか、疑念を持つことや背景に意識を向けることが慎重な対応になりますね。
様々な角度から吟味し可能性を考えることは、事象との隙間を作ります。
それは、自分の感情とも少し距離を置くことになります。
距離を置く、取ることは余白を生むこと、余白はゆとりです。
ゆとりは緩衝材になります。衝撃を受けても吸収できる緩衝材です。それは、相手にも自分にも優しいものです。
ドラマ上なので、視聴者のメタ視点では、これが事実であることは、あらすじやモデルの生い立ちからわかっていますが、日常でも似通ったことは多々ありますね。
自分が、残された男の子の立場だったら周囲の振る舞いにどのような感情を抱くだろうか、
出ていった母親、親族、近所の人々、各立場だったらどう感じるだろうか。
そんなことを思いながら視聴しました。
日常の中で、全く痛手を負わず生きることって難しい。
誰もが、多かれ少なかれ傷を負いながら、私たちは生きています。
無自覚に他者も自分も傷つけないためにも、余白を保っていたいですね。
とは言っても、ショックなことを聞かされた時は頭が真っ白になったり、誰かに話したくなります。
そんなときは、誰かに充分に聞いてもらいましょう。思い切り、気の済むまで。これは重い荷物を少し手伝ってもらうのと同じです。
すっきりするところまで充分に聞いてもらうことは、自分に余白を作る作業です。
話終わって落ち着いたら、思い出してください。
その情報全てが「絶対」「真理」ではない可能性もあることを。
そんなふうにお互いに聞き合いながら、話題の人に対しても余白を保ちながら、関わっていけたらいいですね。



