余白が育む内なる息吹
- spielen0622
- 7月4日
- 読了時間: 2分

ふと空を見上げたり、風の心地よさに身を任せたり、タスクをやり終えて一息つく瞬間…
そのような束の間ではなく、少しまとまった時間で、何もしていない、何も考えていない時間を設けることはありますか。
余白、空っぽ、空の時間です。
私たちは、誰かの息子、娘だったり、誰かの父親、母親、兄弟、姉妹、上司、部下、友達など、色んな役割があります。
そう言った役割や仮面、社会に向けた自分を根こそぎ取り払った、あなたのままでいる時間です。
「何もせず、何もしない時間なんて、勿体無い。その時間でできるタスクがあれこれある。」
そんな合理的思考も横に置いておきます。
電車に揺られてる時や休息の時間に、目を閉じて、自分の呼吸に意識を向けてみます。
どんなリズムでしょうか。
呼吸に合わせて、どこが動くでしょうか。
吸気は体のどこまで入ってるでしょうか。
胸で止まってるのか、お腹、上腹部まで入っているのか、
下腹部まで届いてるのか、背中はどうでしょうか。
体のなかのどの部分の呼気が排出されてるでしょうか。
そのひとときを過ごした後は、どのような余韻が広がっているか味わってください。
それは、普段は目を向けない内側の自分に触れる時間です。
命の内なる躍動に水を与える、精気を育む時間です。
あなたを縛りつける鎖を緩めるひとときです。



