感情の解放と思考の働き
- spielen0622
- 4月12日
- 読了時間: 3分
更新日:4月13日
“ねばならない”を揺るがせて、素の自分に出会う場所。心理セラピスト・エリナのブログへようこそ。
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
お花見をしていたら、「コココココ…」という音が響いてきました。
見上げると、桜の枝に一羽のコゲラ(小さなキツツキ)が幹をつついています。
足元ではたくさんの人が賑やかにお花見を楽しんでいるけれど、コゲラは気にも留めず、自分のやるべきことに一直線。
その姿がとても清々しくて。
周囲にどう見られるかなんて関係なく、自分の感覚に従って動く「まっすぐさ」に、胸がすくような気持ちになりました。
今回は、感情と思考についてです。
私たちが日常で感じる「感情」は、ときに「わがまま」や「未熟さ」として見られることがあります。
とくに怒りや悲しみ、嫉妬や不安など、ネガティブとされる感情は、「出してはいけない」「抑えて当然」と見なされ、心の奥に追いやられることが多々あります。
一方で、思考は理性的で協調的。社会の秩序を乱さないためにも、重宝される側面があります。
ただ、思考が働きすぎると、かえって感情を押し殺してしまうこともあります。
本当は怒っているのに「怒ってない、大丈夫」と言い聞かせる。
悲しい気持ちを「たいしたことじゃない」とやり過ごしてしまう。
それは、自分自身を騙すことにも繋がります。
突然ですが、今この瞬間、あなたは何を感じていますか、体にどんな感覚がありますか。
「今、私は何を感じているだろう」と、少しだけ立ち止まってみてください。
そのままを、出すって、案外難しいものです。
適切な表現が見つからなかったり、そもそも何を感じているかよくわからなかったり。
何かを言おうとして感情から離れてしまったり。
あるいは、「でも、それって~」と説明をつけたくなったり。
ゲシュタルト療法では、「今ここ」で感じている感情や身体の感覚に、そのまま意識を向けていくことを大切にしています。
そこには、分析や評価、ジャッジを加えず、“ただ在るもの”を丁寧に見つめる姿勢があります。
それがたとえ、嫉妬や劣等感、不安といった、扱いづらいような感情であったとしても、
「こんな感情があるなんて、ダメだ」
「こんな自分、情けない」
と排除するのではなく、
湧いてくる感情や感覚に意識を向けて、そっとそばに居続けてみる。
一緒に居続けて、充分に感じて表現していくことで、新しい気づきが起こります。
感情を大切にするというのは、感情のままに突っ走ることではありません。
自分の中にあるものを、否定もせず、美化もせず、「あるね」と気づいてあげること。
そのままを受け止めるというのは、何かを変えようとすることではなく、
「今の自分」に対して目を背けないこと、誠実であろうとする姿勢です。
感情と思考は、どちらが正しいという話ではなく、どちらも「私」という存在に欠かせないものです。
誰かの言葉や常識に支配されるのではなく、自分の内側に耳を澄まして自分らしく生きていく。
そのために、感情と思考の両方と繋がっていることは、大きな力になります。
「いま、私は何を感じているだろう」
ふと思い出した時に、あなたもご自身に問いかけてみてくださいね。
その問いかけが、あなたの“素のまま”と出会う小さなきっかけになるかもしれません。



